遠距離介護を始めて5年ほどになります。
普段の生活は母が1人でデイサービスと連携しながら頑張っています。現在子育て真っ最中の妹は近くに住んでいますが、回数は訪問できてもじっくり長時間父と母の元へ滞在するのは難しい。片や、私は遠方に住んでいるので何度も訪れることは出来ない。けれど、その分数日間滞在して一日中父のそばにいたり、母の話を聞いたいり、トイレや食事介助を手伝っていました。
そんな父が、昨年要介護5と認定されて以来、少しずつ症状も進行し、コロナの緊急事態宣言が解けて私が久しぶりに実家を訪れた今回は、自分の意思を表現することも難しくなっていたのでした。
そんな我が家の介護日記をご紹介します。
認知症が進んでいく過程
最初は公園に行って帰り道がわからなくなる、電車で降りる駅がわからなくなる、スマホの使い方がどうしてもわからなくなる、などから始まり、少しずつ父の認知症は進行していきました。
肺炎で入院したことをきっかけに、それまで出来ていたこともすっかり出来なくなり、一気に認知症が進んでいったのです。足だけは健康で、徘徊もひどかった父ですが、入院後は足腰が弱り、一日中家にいても動くのはトイレに行くだけという状態になりました。
そんな父がついに要介護5と認定されたのは昨年のことです。
要介護5とは
・身だしなみや居室の掃除などの身のまわりの世話ができない。
・立ち上がりや片足での立位保持などの複雑な動作ができない。
・歩行や両足での立位保持などの移動の動作ができない。
・排泄や食事ができない。
・多くの不安行動や全般的な理解の低下がみられることがある。
引用:みんなの介護Q&A
介護を1人でしていた母の気持ちの変化
「要介護5と認定されたのだから、優先的に施設へ入所できるのですよ」とケアマネージャーさんには言われていました。娘の私からみたら本当に大変な毎日。体重70キロ以上ある背の高い父を、体重差20キロの母が支えるのですから。
初期の頃は『お父さんがすっかり変わってしまった。』『お父さんが以前のお父さんでないのが悲しい』と、母から何度も泣きながら電話がかかってきました。その度に遠方にいてすぐには駆けつけられない自分を不甲斐なく思ったものです。
介護が続くにつれて、24時間一緒に生活している母の変化も大きなものでした。最初はなぜこんな風になってしまったのかという驚き、そして思い通りに動いてくれない父への怒り、そのうちに出来ないことが増えてくる父に対する諦めの気持ちが手にとるようにわかりました。
それがここ1年ほどは、父の行動範囲も狭くなり、徘徊の心配が無くなったことで、目は離せない状態は変わらないものの、世話をする母もずいぶん落ち着いてきました。その姿は、まるで小さな子に接するお母さんそのもの。父が子供に返っているようです。口を開けてスプーンで食べさせてもらう姿を見ながら、自分の子供たちが小さかった時代を思い出したりしていました。
そんな母が父の施設入所をずっと拒んでいたのです。
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なぜ施設に入れたくないの?と聞いてみたら
本当に大変な日々。一見大丈夫そうに見えても、毎日のストレスと緊張とで神経をすり減らしている母。そんな母が「お父さんを施設にはまだ入れたくない。私が頑張るから。」と言うのです。その理由は以下のものでした
- コロナ禍で施設に入ったらもう会えなくなるかもしれないから
- 施設では間違いなく人手が足りないだろうから、今のようなきめ細やかなお世話はしてあげられないから
- 自分だけが頑張れば何とかなるのだから、もう少しやってみる
もちろん母の気持ちは尊重してあげたい。でも、母ももうすぐ80歳。緊張とストレスと、介護のために身体全体に負荷がかかっている生活で、あちこちが悲鳴をあげています。
ケアマネさんは「お母様があれだけ言っているのだから、こちらからは無理に入所させましょうとは言えません」と話し、私たち姉妹も「お母さんの気持ちが一番だから。無理に入れることは出来ないよね」と話していました。全てはお世話する母が「もう無理だ」または「もうやり切った」と思えるところまで来たらその時が入所の時だと思っていたのです。
ついに母が決断した
そんな話をしていたのが昨年の12月のこと。それから2度目の緊急事態宣言が出され、しばらく実家に帰ることが出来ませんでした。久しぶりに帰ってきてみると、この数ヶ月ですごいスピードで認知症が進行していることが見て取れました。
- 目を見て話ができない
- 顔を上げない
- デイサービスから自宅までの段差や階段で全く動けなくなる
- デイサービスへの車の乗り降りに非常に時間がかかる
- 歩く足元が本当におぼつかない
- 言葉がほとんど発せられない
- 自分では箸もスプーンも使えなくなった
話しかけても反応のない父。自分の椅子に座って一日ほとんどを過ごしています。歩くのはトイレに行く時だけのため、足腰の筋力は日々衰えていきます。トイレに行く、便座にお尻を下ろす、便座から立ち上がる、歩いて自分の椅子に戻る、という一連の動作がどれも怖いらしく、介助する私や母の手をものすごい力で握りしめて離しません。あまりの握力に私の腕の血の気が無くなるほどでした。
認知症はこの先良くなることはなく、進行していくものなので、ますます母の負担が増えるのは見て取れます。ここで説得しないと、私が帰った後はまた母は1人で頑張ってしまう。そうしたらいつか共倒れになるのでは?
滞在中必死に説得し、ついに母が「もうこれ以上は難しいね。施設に入れるしかないのかしらね」と言ったのです。
施設は希望したからと言ってすぐ入れてくれる場所ではなかった
母が覚悟を決め、父を施設に入所することを了承したとケアマネさんに伝えます。以前からショートステイで通っていた施設で順番待ちのリストに載せてもらっており、昨年の段階では3番目ということでした。これならすぐに入れてもらえるかも?そう思っていたのですが。
その施設は人気で、待っている人も多いところでした。昨年末に母が「大丈夫。まだ頑張れる」と話したことで、父の番より後で待っていた数人が先に入所してしまい、現在は部屋の空きが無いというのです。
母は「やっぱりもう少し早く余裕のあるうちに入所させるべきだった」と後悔しても時すでに遅し。私が実家にいる間は2人で父を抱き抱えておむつを変えて、手を引いて歩かせてベッドに連れて行き、2人で体の向きを変えてベッドに寝かせていました。これが私が帰ったら母は1人でしなければならなくなってします。そして施設に入るまでの期間はどのくらいかかるのでしょう。
ケアマネさんの采配で全てが周りだす
ほんの1週間前までは出来ていた、(手を引いて)歩いてトイレに行く、歩いてベッドに行く、デイサービスから帰宅して家の中まで入るということが、わずか数日の間に急に出来なくなってしまいました。これが認知症が進むということかと、その様子を目の当たりにして不安ばかりが募ります。
そんな私たちの不安を察知してケアマネさんが素晴らしいプランを考えてくれました。
- まずは母を休ませるために父を1週間のショートステイに申し込み、ショートステイをしばらく繰り返していく(これまで母が頑張ると言っていたため、こんなに長いステイは初めてです)
- ショートステイの合間に数日間は帰ってくる日を作る(コロナ禍で入所してしまったら会えなくなるけど、この方法なら家にも戻って来られる)
- 家に帰ってきた日は母の助っ人として訪問介護の人におむつ交換を頼む(朝1回、夜1回と来てもらえれば母の負担も大分減らせる)
- 家に戻ってきた日には訪問診療の先生や看護師さんにきてもらう
もう総力戦です。
「要介護5なので、使える介護保険を全部使い切っても少し自己負担がかかりますが、これが今現在施設に入居するまでの間の最善の方法と思われます。」
と、ケアマネさんが説明してくれました。テキパキと各所に連絡を取り、チームを作って父のことを診てくれるスタッフの方々。本当に心強いです。
私が帰省から自宅に戻ったその日、父はショートステイに出発し、母は初めて1週間の休暇を手に入れることが出来ました。やるだけやったという気持ちと、父の手を離してしまったという後悔でまだ母の気持ちは揺れているようですが、共倒れになる前に手を打てて良かったと娘の私としては思っています。
本当に施設に入所してしまう日が来るまで、父と母の日々が穏やかであることを願ってやみません。
家族に認知症の方がいる人にぜひお勧めしたいこの本。フィクションでありながら、医師である作者が書いた物語は、認知症が進んでいく様子が赤裸々に描かれていて、胸が詰まります。でも、認知症本人の気持ちの描写もあるので、とてもわかりやすくあっという間に読んでしまいます。
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